今、起きてることを知っておこう

陰謀論と言われていることは実は「陰謀論だ」と言っている人の陰謀だったりすんじゃねぇか?

ザビエルからこっちの話(2-2)

~さて、気を取り直して年表を見ますと~

 

1543年 鉄砲伝来
1549年 ザビエル来日(2年間滞在)信長は濃姫と結婚 13代足利義輝 武田信玄気合入ってる頃。
1560年 桶狭間

 

とあります。

 

ザビエルから概ね10年度に桶狭間ですね。戦国時代の節目ですわ。

 

精力系ドリンクのキャッチコピーに「男と女の桶狭間」ってのがありますな。リアル「桶狭間の戦い」と全く異なる「桶狭間」の使い方、何故か淫靡な響きがあるんだけどなんでかね?このコピー考えたやつすげぇよな。
それはそうと、マンガでもそうだけど、信長って衣装に西洋・キリスト教的なかっちょいいのを纏ってます。武田信玄はそういった衣装に身を包んでない…ってか、信長だけか。彼、そっちら方面に意識があったんだろうねー。宗教?いや、世界市場に。

 

桶狭間の後、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスってのが来日しました。もうこの時には天下布武織田信長。彼は布教活動を許してイエズス会と良い関係になっていたようです。が、信長はキリシタンだったかと言うと、そうでもない。神道や仏教を否定してるような側面も見せるけど、それもそうとは断定できない。
どうも信長は宗教的生き方よりも合理的な生き方を優先する人だったように感じます。つまり、キリスト教を「利用してやろう」的な発想で許容したのではなかろうか。。
案外、信長もしたたかなもんだ。
そういや、信玄も秀吉も家康もリーダー格な方々は結構したたかですな。したたかでないと一国を預かるリーダーには適さないってことかもね。

 

ザビエル来日から30年後くらいで、信長が許容したお蔭かキリシタンは15万人くらいになったそうです。これ、随分と増えた的な表現がされてますけど、多いと思います?ちょっと時間が前後するけど桶狭間の頃の日本の人口が約500万人ですよ。ざっとその3%です。個人的にはたった3%って感じ。30年頑張ってもシェア3%。日本にキリスト教は馴染まないってことの証左と言えます。
思えば、古くから自然神を崇拝し、自然とともに共存を図ってきたわが国民族だ。八百万の神とともに暮らしてきたんだもの。「自然を崇める」我が国の国民性は、「自然を支配して繁栄しようようとする」西洋の発想に入り口からして馴染めるはずがない。

 

先日のニュースで賑わったエホバ…だったっけか、親の子供に対する教育・しつけに「ムチ」を打ってたってのありましたな。何でキリスト教圏系では直ぐ「ムチ」が出てくるんかね。しつけに「ムチ」なんてのは、凡そ日本じゃ想像つかない。
ムチを使わないとしつけられんのか?どういう子でどういう親なんだ?
そう思っちゃう。相当聞き分け無さすぎる子供だと思うし、直情的な親とも思うよ。
どうなんだろ?日本の親は、仮に子供に手を出すにしても「げんこつ」「びんた」じゃないかな。素手っすよ。ある種のふれあいでもある。ムチは武器の使用だ。こういうとこ切り取っても、西洋と日本には文化の違いが大きい気がする。…エホバだけが凄すぎる訳じゃないと感じる。。あ、また話がずれちゃった、すんません。

 

ともあれ、戦国時代ってのは日本は世界最強レベルで強い国だったようです。
信長の近辺でスパイ活動を行っていたフロイスの報告書にはそんなことが記載されているらしい。宣教師達は、表で布教を装い様子を伺いながら、ローマ本部に情報を送って日本侵略の機会を狙っていたと言えましょう。で、日本が何気に強いので侵略方法を模索してたような…。戦国時代の日本のHP(MP?)は組織力というか、知力というか、魂の入り方というか、その辺りが他国と比べて凄かったんだと思うぞ。

 

ご存じの通り、信長は鉄砲を重用して戦国の世を勝ち上がっていくんですが、鉄砲を活用するには火薬が必要です。その火薬、当時国産では作れなかったので、どうやって手に入れたかと言うと、1樽につき娘50人で西洋から購入したようだ。つまり、日本の若い女性は火薬と引き換えに海外に売り飛ばされてったってこと。そういうこと、教科書には載ってないよね。ちょっと信長、どうなのよ!?なわけです。気性荒く短気で合理的、そこだけ切り取ると、なんかすげーサイコパスかっくいー!とか思ってたけど、人身売買はいかんわ。なので、このことを知ったら信長が苦手になりました。国を想うと言うより独善的やん。

 

一方、秀吉、サル!とか言われていただけに、ちょっと顔つきがあれなので個人的には好きになれなかったけど、「伴天連追放令」の話を聞いて見方が変わったんですよ。
伴天連追放令」って知ってます?
教科書的には「キリスト教徒の中には大名もいたけど、その彼らが外国と貿易をし続けると、自分(秀吉)より力をつける可能性がある。それヤバイ。なので伴天連追放令の狙いは『貿易の制限』だった。」みたいに書かれてます。
だいぶ合っているとは思うけど、キモが抜けてると思う。

 

秀吉は、九州で日本から誘拐されて船に乗せられていく人々を目の当たりにしてしまい、それに激昂して伴天連追放令を出したというのが、実のところじゃないかと思うのだよ。
つまり、さらわれていく日本人を救済するために伴天連追放令を出したというもの。

 

もちろん、それ以外にも宣教師コエリョが秀吉を博多で出迎えた際、自分が建造させた最新鋭の軍艦に秀吉を乗せて、私はいつでもこのスペイン艦隊を動かせるぞと自慢半分、恫喝半分に語ったらしく、秀吉は植民地化計画を瞬時に看破したとか、キリシタン大名大村純忠とか有馬晴信は自分の領地をイエズス会に寄進していたりして、日本の国土が売られていくことに憂慮したということもある。
でも、やはり、日本人が奴隷として海外に売り飛ばされていくのが一番許せなかったんじゃないかな。宣教師との詰問状にもそういうのが謳われているし、ほぼ間違い無いと思う。

 

加えて、秀吉は宣教師コエリョに対し「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すぞ。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻すぞ。」といった主旨のことをも伝えている。当時の秀吉は日本の為政者として領土や国民の安全を守るために最善の選択をしたように思えるよね。秀吉、かっくいーじゃん!となりました。

 


っとまぁ、あれだ、そんなわけで、今まで教科書で歴史を教わってきた身だけど、どうやら「歴史の教科書」と「歴史」に違いがあることを感じてきました。ヤバいよね。

本当の真実を見抜いて、正しい歴史を学び、そしてそこから正しい考え方とか、価値観を改めるというか、学び直していければ何よりですよね。