今、起きてることを知っておこう

陰謀論と言われていることは実は「陰謀論だ」と言っている人の陰謀だったりすんじゃねぇか?

歴史の歪み:戦後教育と史実のずれ(続き)

この戦争を、当時の日本政府は「大東亜戦争」と呼びました(大東亜は、東アジアから東南アジアにかけての地域)日本はアジア圏の復権をも展望していたのです。
戦後、日本を占領した連合国は「太平洋戦争」と呼び、その後、この名称が定着していきました。というか、定着させられたと言うべきでしょう。
我が国にとって、共存共栄すべきアジア圏の構築を阻まれたわけですから、これは、太平洋エリアの話(戦い)ではないのです。ポリネシアとかオーストラリアとか、そっち方面はアウトオブ眼中だったのに、何故に太平洋?目線がまるで違うと思います。
なので、今まで「太平洋戦争」と書いてきましたが、この戦いは「大東亜戦争」で間違いないと思います。

 

日本が東南アジアに侵攻し、欧米の植民地になってしまった国々を取り戻させ、それが東南アジアにおいてとても好意的に受け入れられたという史実は、教科書等では全く触れられていません。
欧米に侵略された国々が日本軍の侵攻で欧米の呪縛から解放されたことが、評価されることなく、単に日本の軍事的侵略の拡大と教えられるのは、どうかと思うのです。

 

東条英機のお孫さんが外国人特派員協会でお話になられた記録があります。抜粋ではありますが、これを読んだとき、上述のように、自分の大東亜戦争の捉え方、東条英機と言う人物像が180度近く変わってしまいました。偏見抜きにして直球で読んでみてください。彼女も一日本人としての歴史の証人なのですから。


大東亜戦争に対する正しい解釈がなされる必要があると思います。
 日本の多くの人は、日本が一方的に侵略行為を行ったと考えているから、原爆を投下したことによって、日本が戦争をやめ、良かったと考えている人が多いのではないでしょうか?
 日本は果たして侵略戦争をしたのでしょうか?
 大東亜戦争とは、侵略戦争と決めつけてよいのでしょうか?
 その検証を、戦後60年(発言当時)経った今でも、日本は一度も行っていません。
 侵略戦争か、自衛戦争かを確定するのは、その国独自の権利があります。
 大東亜戦争の最終段階において、原爆投下と言う残虐な行為が容認されています。なぜ、あのような残虐な行いがされたのか、容認されているのかを、きちんと知る必要があります。
 そのためには、大東亜戦争の正しい解釈がなされることが必要であります。日本が侵略戦争を行ったのだから、あのような残虐な原爆投下がされても当然だと考えている人が多いのではないでしょうか?
 果たして、日本は侵略戦争を行ったのでしょうか?
 大東亜戦争とは、侵略戦争であったと決めつけてよいのでしょうか?
 日本は、大東亜戦争後、東京裁判で裁かれました。
 米軍最高司令官であるマッカーサー元帥は、昭和26年5月3日、上院軍事外交問題委員会の席上で、
 「日本があの戦争に立ち上がったのは、資源もない日本がABCD包囲網に囲まれて、経済封鎖をされた上、やむを得ず立ち上がった自衛戦争であった」と言うことを証言しています。
 戦後、極東軍事裁判において、日本は裁かれ、当時の最高責任者であります東条英機は、自分が書きました法廷で述べた宣誓供述書の中においても、あの戦争は断じて日本の侵略戦争ではなかったと強調しています。
 日本は、侵略戦争などしていません。敢えて言わせて頂きたいのですが、正しい戦争であったと、私は考えています。
 ただ一つ間違いがあったとすれば、それは戦争に負けてしまったことです。だから、祖父東条英機に、戦争責任があるとすれば、それは戦争を始めたことではなく。戦争に負けたことには責任があります。
 日本は、あの戦争が始まった1941年12月10日、大東亜戦争という呼称を閣議で決定いたしました。しかし、戦後の日本では、大東亜戦争のことを太平洋戦争と呼んでいます。GHQによって、大東亜戦争と言う呼称を禁じられたのです。
 このアメリカが行った洗脳交作は、戦後の日本人を縛り続けています。
 我々の祖父の世代の日本人が戦ったのは、決して太平洋戦争ではなく、大東亜戦争です。
 おろかで戦争好きな日本人が、太平洋に中国に東南アジアに侵略をしかけたのだという意味が「太平洋戦争」という言葉に込められています。これは絶対に違うと、私は申し上げたい。
 大東亜戦争に突入した当時、白人はアジアを植民地支配していました。それを解放する大儀をもった戦争が大東亜戦争だったのです。
 アメリカはフィリピンを、イギリスはインドを、フランスは東南アジアを、オランダはインドネシアを植民地にしていました。
 そして、現地の住民はまるで奴隷のようにこき使われていたのです。
 アジア、アフリカの諸国が、欧米諸国によって、植民地化されている、それを開放するために日本は立ち上がったのです。
 世界各国は日本が侵略戦争を行ったと言いますが、それは逆だと思います。
 アジアを侵略していたのは、欧米諸国です。
 大東亜戦争が始まった当時の色分けされた世界地図をご覧になったことがあるでしょうか?それは、どこの国がどこの植民地になっているかを示した地図ですが、アジアで植民地になっていなかったのはタイと日本だけです。
 つまり大東亜戦争とは、有色人種の白人に対する戦いであった、在る一面では、人種戦争であったと言っても過言ではないと思います。
 大東亜戦争開戦前、日本は石油も禁輸され、また、ABCDラインに囲まれ、日系移民に対して、大変な差別が行われていました。
 日本が、あの大東亜戦争に突入する決心をしたのは、アメリカから突き付けられたハルノートです。
 絶対に、日本が承諾することが出来ないノートをアメリカに突きつけられたのです。
 私はあの最後通牒であるハルノートに日本人が立ち上がったことを、誇りに思っています。もし、あのハルノートを日本が受け入れていたならば、恐らく日本は真の奴隷の国になってしまったと思います。
 アジアで、唯一白人の植民地とならず、奴隷にならずに、孤軍奮闘を続けてきた日本は、戦わなければならなかったのです。
 結果的に敗れはしましたが、日本人の誇りは保たれたのです。日本人の精神が昔のように輝かなくなってしまったのは、戦後の時代なのです。
 この日本人の精神の崇高さこそが、容認されることであって、原爆投下という残虐な行為がどうして容認できるのでしょうか?
 このためには、大東亜戦争に対する正しい解釈がなされなければいけないと思います。
 日本が一方的な侵略行為を行ったと考えているからこそ、原爆を投下したことによって日本が戦争をやめたのだと考えている人が多いのではないでしょうか?』

 


ここまでくると、A級戦犯として処された東条英機(当時内閣総理大臣)は、日本を戦争へ邁進させた重罪人という烙印を押されていますが、本当にそうなのだろうか?という疑念が湧いてきます。
彼は何通もの遺書を認めたようですが、GHQにより剥奪され破棄された遺書もあり、未だに表に出ていない遺書もあると聞きます。実際のところは私は知ることはできないのですが、現在表に出ている書類を読むにも「軍人による利己主義的文書」であるとか「偏見によるもので負け犬の遠吠え」であるとかの前提を受けて読むと真実を見抜くことが困難になってしまいます。実際、今までそういう「フィルター」を通して読んで(読まされて)きた印象があります。しかし今は、まるで違う響きをもって、こちらに届いてくるものがあるのです。

 

『今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は、死をもって贖えるものではない。しかし、国際的の犯罪としては、無罪を主張した。今も同感である。ただ力の前に屈服した。自分としては、国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。ただこれにつき、同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。』

 

内閣総理大臣を務める前までは陸軍大将を務めていた東条英機。実は先にも述べましたが、東京裁判で極刑を受けたのはすべて陸軍の軍人でした。海軍の軍人は裁かれなかったのです。それが私にはどうしても引っかかる。
戦争を開戦する話し合いの御前会議には、東条英機は日本国の首相であり、陸軍大将であったにもかかわらず、会議室の外でひとり閣議決定まで待たされていたという話も耳にしました。
東条英機が率先して会議をリードした印象がありますが、それはあくまで印象であり、印象操作されていたとしたらどうでしょう?それを否定するにも、根拠を明示できないのではないだろうか?
真実を知るということはとても大切なことです。
真実と「されている」ことは本当に真実なのか、私たちは今一度検証する必要があると思います。受けてきた学校教育は真実を教えていたのか?教科書に書かれていることを疑いもせずに頭にインプットしてないか?

 

『東亜の諸民族は、今回の事を忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利を持つべきであって、その有色たることをむしろ誇りとすべきである。』

 

東南アジア圏の国々に向けての情が読めるこのメッセージ。欧米からの脱却を願った東条英機の祈願が伝わってくると読めます。

 

『「米英諸国人に告げる」
 今や諸君は勝者である。
 我が邦は敗者である。
 この深刻な事実は私よりも固より、これを認めるにやぶさかではない。
 しかし、諸君の勝利は、力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし、諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって、最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではなかろうか。
 我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。
 いくら戦争は、手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。』

 

自衛戦争であるなら全くその通りであり、仮に侵略戦争であったとしても原子爆弾の使用は欧米流にいうなら「アンフェア」であると思う。何したっていいわけではない。われわれは原爆の日に言うべきは「戦争を繰り返さない」もさることながら「被害者救済をせよ、戦後補償をせよ」と米国に叫ぶことではないのか?などと思ったりします。

 


昭和16年12月8日宣戦詔書
暴走した軍部指導者層(陸軍)による侵略行為・暴挙を正当化するための文面であると私は教えられてきましたが、その「教えのフィルター」を外して読み返すと、いかに米国・英国の白人による侵略から帝国(亜細亜)を守ろうとしたのかがはっきり見えてきます。

 


戦後、東京裁判において重犯罪人とされる者の裁きが行われました。
その結果、A級戦犯絞首刑7名、終身刑16名、有期禁固刑2人となりました。
それら裁きに対し、戦勝国11人の判事のうちただ1人、インド代表の判事パール博士は被告人全員の無罪判決をしました。
彼の主張を、今一度反芻する必要があると思います。

 

1952年、広島県弁護士会でパール博士は次のようなことを仰っていました。
『他の判事は全部有罪と決定し、わたくし(パール判事)ひとりは無罪と判定した。わたくしはその無罪の理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠もなんら明確にしていないのである。恐らく明確にできないのではないか。だから東京裁判の判決の全貌はいまだに発表されていない。これでは感情によって裁いたといわれてもなんら抗弁できまい。』

 

東京裁判って、一体何だったのだろうか?
戦犯を裁くための裁判だったとは聞いていたが、その正当性はどうだったのだろう?
実は、それ程意識して東京裁判を考えたことが無かった私。お恥ずかしい限りです。
裁判において判事のうちただ一人パール博士だけが被告人全員無罪の判決を行ったということは聞きましたが、その細かい内容までは授業されませんでした。もしくは自分の中でスルーしていたのかもしれません。
遅ればせながら、最近になって、パール判事がどのような根拠で全員無罪としたのかの資料を読みまして、漸く、東京裁判そのものの意義を問わなければならないと思った次第です。

 

東京裁判での判事は、当時、連合国として日本と交戦した米国、英国、ソ連(現ロシア)、フランス、中国、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの9か国とフィリピン、インドを加えた11か国から選出されました。裁判長はオーストラリアのウェップ判事。
先ず、そもそもこの裁判が戦勝国主導で行われたことにパール博士は疑義を唱えています。
問題点は二つ。
ひとつは、国際正義を行うための公正なる裁判を行うのであれば、戦勝国のみならず、中立国はもとより、戦敗国をも構成国に参加させるべきではないかということ。
もうひとつは、戦勝国の中にも、戦争法規に違反した軍人や政治家がいたのであれば、彼等も裁かれるべきであるということだ。
そうして初めて公正な裁判となる。すなわち、東京裁判は公正の体を為していない。と、主張されました。

 

東京裁判におけるA級戦犯の起訴事実は、3つの主題が挙げられていました。
第1に平和に対する罪
第2に殺人の罪
第3に通例の戦争犯罪および人道に対する罪
罪状名としてはもっともらしい響きがあるが、国際法上で照らし合わせると、そんな罪状は存在せず、これらは新しい罪状として東京裁判にあてがわれたようなのである。東京裁判を遡る数年前に、ドイツ・ナチを裁いたニュルンベルグ軍事裁判というのがあって、そこからの引用と応用なのだそうだが、大量虐殺を働いたナチと同系列で考えるのはどうなのだろう?

 

それを言うなら、パール博士の言う通り、原子爆弾で大量殺戮を行った米国の命令者・実行責任者の罪が全く問われないのは、おかしなことになるのではないだろうか?
大量の日本人をシベリアに抑留して奴隷労働を強いたソ連の蛮行が容認されるのだろうか?
米国もロシアも判事を選出しているのに、彼らはその点を全く無視している。

 

時を遡れば、スペインやポルトガルによる大航海時代があった。
宗教的対立をもって領土の奪い合いを行った国々もあった。
コロンブスだか何だかの米国やら南アメリカへの進出による原住民の駆逐があった。
そして東南アジアへ進出して、植民地化し原住民をこき使った国々もある。
さて、それでは、東京裁判で言うところの平和の罪やら殺人の罪等というものは、これら過去の各国々の行為はどう判断するのか?

戦勝国が裁判官となって戦敗国の主導者を裁く。
勝ったものが正しいわけではない。
正義とは勝敗とは違う次元のものである。
しかし、東京裁判はどうだったのか?

 

今一度、考えてみたい。
「私たちは二度とあのような過ちは犯さない」
この、機会あるごとに目にした、耳にした、口にしたキャッチフレーズのような言葉。
この言葉は正しいのでしょうか?
本当に私たちは過ちを犯したのでしょうか?
私たちに、このようなフレーズを言わせてきた欧米は過ちを犯してないのでしょうか?
私にはそうとは思えなくなりました。

 

韓国がやたらと日本に叫ぶ戦後補償。これを言われるたびに何だか頭を下げている日本。
では、何故東京大空襲や広島・長崎原爆投下などによる桁の違う大被害を被ったことに対して、日本は米国に対して叫べないのだ?
米国に負けたからだ。
勝てば官軍か。まさにそれではないか。悔しい限りだ。
韓国の日本に対する態度を見習ってほしいものだ(ま、その韓国も中国や米国に対してはあれ?だけど)。
いま、日本は独立国と言われているが、間違えてはならない。
米国の植民地なのです。
だから米国の言いなりになっている。
米国の応援する国を日本も応援する。
ウクライナイスラエル
米国がウクライナは正義だと言えば、日本も「そうですね、ウクライナ正しいですね」と報じる。税金やらの国家資産はどんどん海外に流失させられ、自国民の福利厚生には全く回らない。能登半島地震の復興はまるで後回し。
もっと毅然と立ち向かえるリーダーが必要だと思います。
そういう意味でも米国の言いなりになっている議員達は少なくとも不要であり、そういう議員を送り出している自民党も不要ということになる。もちろん、自民党にぶら下がってる公明党も同罪・不要だ。
自民党公明党の解体がなされない限り、戦後処理はスタートを切れないと思います。

 

パール博士は言いました
「日本は独立したと言っているが、これは独立ではない。強いて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。アメリカによって与えられた、歪められたものの見方や、考え方が少しもとれていないではないか」

 

私もそう思います。

 

戦後の教育、教科書、メディア報道が如何に意図的であるか、そこに国民がどっぷり浸され、自虐史観に代表される思想コントロールを受け、それどころか、白痴化されて権力者の犬になることに何の疑念も感じない…恐ろしい状況が拡大しているのに戦慄を覚えます。

 

私も染められてきたひとりなので、人のことをとやかく言う事は憚れますが、それにしても今この段階でも「気付く」ことを拒否している人を見ると残念でなりません。
それ程までに今まで受けてきた教育(環境)は根が深いのかと感じたりもしています。

 

戦争なんて、誰が好き好んでするでしょう。
戦争は、しなくちゃなんなくなったからするんです。それが根底にあると思います。

 

余談ですが、私の母方の祖父は第二次上海事変で陸軍歩兵連隊員として戦死しました。私の祖母はその後、母子家庭で子供三人を育てあげ、その内の一人が私の母親です。男手のいない戦後、生活は困窮を極めたと聞きます。私は戦争は大反対です。戦争は色々な不幸が生じます。
戦争しなければならない状況にあって、お国のために命を散らせたおじいちゃんは英霊です。従って私は靖国にも参拝しますし、靖国参拝を批判するやつの神経が理解できません。靖国参拝をスタンドプレイ化してる奴も大嫌いです。
私は、戦争反対でありますが、武力放棄はNGと思っております。話してもわからない相手がいる以上、その相手による侵略行為が行われるリスクがあります。相手が侵略の意欲すら湧かないほどの、こちら側の武力・外交カード・ノウハウを有する必要がある為です。

 

本当のこと、真実を知るということはとても大切なことです。
真実を知るためには、ただ見たり聞いたりするだけでは足りません。その「情報」を咀嚼して考えて、「正しい情報」を導いて行かないと真実に到達できないのではないかと思います。
それ程までに今の世の中は混迷を極めているのだと思いますし、だからこそ真実を知る必要があるのだと思います。
何しろ、知らないで過ごしたくとも、そうなると貶められてしまう世の中なのですから。
極楽とんぼで生きていけるほど世の中甘くないのだから、覚悟決めて正しきを正しきとして生きていける世の中にしたいです。
手遅れになる前に。

いま、ほんとにヤバい状況になっていますから、一人でも多くの人が「気付く」事を願ってやみません。