今、起きてることを知っておこう

陰謀論と言われていることは実は「陰謀論だ」と言っている人の陰謀だったりすんじゃねぇか?

ユダヤと金融と今と

前回、ブラックロックのCEOがユダヤアメリカ人という話をしました。
ユダヤ資本」…こういう言葉を聞いたことがあると思います。

ユダヤと言えば、ロスチャイルド家

今ここで「ロスチャイルド」と言ったら、「ああ、陰謀論ね」と切り捨てる方が結構いるんじゃないかなと思います。

ですが、ロスチャイルド家に関しては、陰謀でもなんでもなく、リアルで存在しているわけでして、何故陰謀論を直ぐに持ち出して切り捨ててしまうのか、むしろそっちの方が理解できなかったりする。そう考える頭にされてしまっているんだろう、とまで思ってしまうわけです。誰に?…教育で?なんてね。

実際のところ、ロスチャイルド家に代表されるユダヤ資本が世界の金融をほぼ牛耳っていることはほぼ常識なのに、「そんな荒唐無稽なことはない。特定ファミリー、特定民族がこの巨大なマーケットを支配出来る筈がない」みたいなことを仰る。

では、金融のルーツはどうだったのか。今一度見てみたいと思います。

 

「銀行」の歴史というのは結構古くて、世界で最初の銀行は紀元前3000年までさかのぼると言われています。西アジアチグリス川・ユーフラテス川下流地方(現在のイラクなど)にあったバビロニアという古代王朝で、神殿で人々の財産や貴重品を保管したり、穀物や家畜を貸しつけていた仕事があり、これが銀行の起源だと言われています。

銀行が現在の姿に発展してきたのは、中世イタリア。
イタリアで“banco”という商人の取引台に由来して、現在の“Bank”と言う言葉が生まれたらしいです。

古代の銀行の発達には、為替業務のほかに、両替業務がありました。
両替は、国や地域ごとに異なる通貨を交換して手数料を得るビジネス。当時は、地域ごとに異なる通貨が使われていたため、商業が発達するにつれ、地域間でのビジネスを円滑にするには両替が必要となってきました。やがてそれは単なる両替だけで止まらず、資金を貸し付けたりするようになっていきます。
お金を貸す…これで思い出すのが「ベニスの商人」。そこに登場する悪徳高利貸し屋シャイロックユダヤ人なのです。

昔からユダヤ人は欧州で数々の迫害を受けてきました。なぜかというと、もうこれは宗教的対立以外の何物でもない。キリスト教社会では「イエスユダヤ人によって、ゴルゴタの丘で十字架に磔にされた」との言い伝えがベースになっており、また、選民思想ユダヤ教にあっては、ユダヤ人以外は救済されないわけだから、キリスト教徒にとってはたまんないわけですね。

私はあまり宗教は詳しくないので、なんとも胸張って説明することができないですが、概ね、それらを背景として、ユダヤ人は嫌われてきたのだと思ってます。ゲットーとかに追いやられたり、仕事の面でも中々就業できるものはなかったのです。
当時、キリスト教圏ではお金を貸し借りして利息をとることは悪いことだと考えられていたので、そこに活路を見出したユダヤ人はその業界で頑張るようになったと推測できます。

時が流れ、教会の力が弱まり、世間の金融に対する価値観も変わり出した頃には、もうユダヤ人による金融ビジネスは他の民族の追随を許さないほどに成長していました。高利貸しシャイロックが登場する「ベニスの商人」、なんとなく理解できます。

また、排他されたユダヤ人ですから、自分たち同士の結束から貿易決済を内内で展開し、為替業務を発展させてきたと言われてます。略奪に対する防衛策として、無記名形式の証券(銀行券)を発行・流通させることをも考案し、自分たち民族の結束を強化、それがつまりは、今日の銀行業務の主軸を構築したと言えるのです。

 

私はかつて銀行員だった時代があるのですが、こういった銀行のルーツなどについてはまるで勉強してこなかったし、教えられもしてこなかった。。
日常業務において何をしなければならないか、達成しなければならないノルマは何か、日経新聞などから情報をちゃんと収集しているか、マーケットはどう動いているか…そういったことに忙殺され、そもそもの銀行の成り立ちとかはまるで眼目になかったです。。
多分、私以外の銀行員の方々も似たようなもんじゃないかと思う。

昔私は、こんな風に考えていました。
マルクス経済ではないけど、労働の対価として賃金があるのであり、お金は働いたことの見返りに受けるものだ。なので、お金に働いてもらって(金利を)稼ぐというのは、リアル労働ではないのだから、邪道である。金融というのはヤクザな仕事だ…そんな風に思っていたのです。
で、そんなことを考えていたやつが銀行に就職する(笑)。
自分っていったいなんなんだ?と。
で、働いてみてわかったのが、金融ってやっぱりヤクザだな、とw。
地域の皆さんに貢献して、お金に困っている人にお金を融資し、みんなで成長していけるまちづくりに貢献したい。入行当初、金融を清く正しく活用することができれば、とても良い結果が付いてくるだろう、と期待していた私。。裏切られるまでにそんなに長い時間は要りませんでした。
大体、お金を貸すのは金利を取るため。なので、しっかりお金を返せる人に貸さないといけない。すなわちお金を貸す先はお金をたくさん持っているところ。貧乏人には貸さない。お金をたくさん持っていて、高い金利で借りてくれる先が優良御取引先ということを最初に学んだ。
社会的使命?…そうね、美談でした。
公共的役割?…お前は、公務員ではない。お前の就職してきた先は収益を追求する民間企業だ、何寝ぼけたこと言っているんだ?などと学びました。
数年後、私はストレスで胃をやられ、血を吐いて、お医者さんに行って、
「あんたね、自分と会社、どっち取るの?」と先生に言われて、
「自分です」と答えまして、
「じゃ、辞めた方が良いですよ、貴方に向いていない」と言われ、辞表を出したことを思い出しました。負け犬呼ばわりされたくなかったから、辞める直前の営業成績はトップクラスを叩き出しましたが(笑)。にしても…


お金はね、人を変える。


私が学んだことは、この一言に尽きると思う。
お金にまつわる様々な人間模様を見てきた。そういう経験をしたということは、それはそれで貴重な体験学習だったと思う。
そして、お金はダークサイドのルールだということも学んだ。
出来ることなら、人生、ダークサイドにいたくはないし、皆をもダークサイドに巻き込みたくない。どうにかこの社会、なんとか奇麗にならんだろうか?

 

金の亡者がいる限り、決して良くならないと思う。
だから、一人一人が心の美しい、生きることに対して妙な競争心優越感劣等感を持ち合わない関係、互いが互いを思いやり心の平静充足を共有できる社会になってほしいと願っています。

 

今や、この金融システムは世界経済に在っては、なくてはならないほど重要な地位を確立しています。しかし、金融にまつわる色々な問題点があります。
金融にはかなり邪悪な側面があることも事実。
そもそも信用創造という仕組みがどうも腑に落ちない。。これって、儲かる奴が、金を持ってるやつが、どんどん儲かる仕組みなんだもの。

 

この金融システムを構築し、その根幹部分にロスチャイルド家に代表されるユダヤの知恵が沁みこんでいる。それはもう、ユダヤ資本が負けるわけない的な部分がベースに存在しているわけです。その舞台で世界の色々なのが動いてるわけですから、スタートの時点からして我々は「負けてる」わけです。どうしたらよいのでしょう?

 

新たな価値観による金融システムが構築されることが望ましいんじゃないかな。
一部の富裕層がいよいよ富を財を増やしていけるような、そんな現在のシステムは見直す必要があるのではないでしょうか。
具体案が中々思い浮かばないけれど、今の制度が歪んでいることは間違いないように思います。基軸通貨とされているものを、この際だからリセットしてもいいのではないかなと。極論、金本位制に一旦立ち返ってもいいのではないか?などと。

 

ここ数年のコロナ騒動で、何処の国も輪転機のごとくお金を刷りまくったから、世の中ばらまかれたお金でだぶついてるし、そのだぶついたのが株式や不動産に回るから、あたかも景気が良くなっているかのような値上がり、インフレが生じてるし、でもさ、刷りまくった通貨なんだから、単位通貨は相対的に価値下落してる筈なんだよね。
もう充分破綻してもおかしくない水準にあると思うんだけどね、ドルもユーロも円も。。

だからこの際、新しい通貨制度、社会制度、経済の仕組みを再構築していいんじゃないかと思う。いや、再構築するべきなんじゃないかな?

どうでしょうかね。。