今、起きてることを知っておこう

陰謀論と言われていることは実は「陰謀論だ」と言っている人の陰謀だったりすんじゃねぇか?

日本の古代史の「?」なところとか

みなさま、初めまして!
結構堅苦しい話かもしれないんだけど、付き合ってほしいんですが良いですか?


今まで自分が学んできた歴史や教育に、「なんかそれおかしくね?」と思うようになってから、実際今起きていることはなんなんだろう?と考えるようになってきました。

見方を変えると考え方や生き方までも舵取りが変わってきますよね。

そう、これからの時代を生きてくのに大切な情報と大切な行動と言うものがあると思います。

それをつらつらと知識は浅いけど、一生懸命考えていこうと思うです。一緒に考えてみませんか?

そして「生きていく」ことを「活きていく」ことにバージョンアップしましょう。

 

・・・

 

 そういや「歴史」とかって、学校で教科書や先生から教わって覚えてきました(参考書(受験用)とか読みながらも覚えたけどね)。それから大河ドラマ(笑)。
あの時代にもし違うことを教えられたりしていたら、何の疑いもなく間違った歴史を脳裏に植え付けられていたことになる。そう考えると、よくもまあ疑うこともなしに授業等を受けていたな。我ながら感心。「先生等から授業で教わることは正しい」と信じてたし。ってか、子供なんだからそんなもんでしょ。
だから教育って物凄く大切なんだと思う。そして、重要で怖いなと思う。教育者ってのは重責を負っているんですよ。で、私の歴史の先生はというと、…けっこう杜撰だった気がする(笑)。ま、今更気にしてないよ。ただね、日本史の教科書進行配分を間違っていたのが問題だったかなぁ。これ、私の先生に限ったことじゃないらしく、後でいろんな人に話しを聞くと、等しく進行配分の問題があったらしい。

つまりだ、大きくカテゴライズすると日本史って「古代」「中世」「近世」「近代・現代」と4つに分けられるじゃないですか。3学期制の学校なら少なくとも1学期で1カテゴリー以上は進まないといけないわけです。ってことは、夏休み前までには少なくとも中世に足突っ込んでなきゃならないのに、私のクラスでは平安時代くらいで足踏みしてたのね。
で、夏休み明けから年末に向けて近世まで突っ走る必要が生じ、12月までになんとか江戸幕府に入って、冬休みまでにアクセル踏んで黒船まで行った記憶があります。なので、年明け3学期になって明治維新第二次世界大戦までを頑張るんだが、内容の多さに追いつかず、結局「近代の後半と現代は各自自習しておくように」となっちまった。ま、当時、受験にはあまり関係ないからという釈明を聞いた気がするが、最も重要なセクションをないがしろにされたような気がしてる。

 

なわけで、天邪鬼的な考えが脳裏をよぎりました。

 

「近代・現代」は「意図的に」歴史の授業から外されていたのかもしれない。
ヤバい部分が、黒歴史が、そこに潜んでいるのかもしれない。
知っていても教えられない先生、もしくは知識を有していない先生ばかりで、その部分の授業をこなす力量を有していない。…などと。
どうだろ?
学生に伏せられた近代現代史の存在…俄然興味が湧いてくるよね。
だってさ、私のクラスだけじゃないんだぜ。他のどのクラスにおいても、いや、他の学校でも似たような現象が起きてたんだから「何かある」と思っちゃうワケですよ。
(最近の学校現場ではどうなんだろうね)
この間も友達と話したんだけど「歴史をやるんなら、「現代」から「遡るように」して『こうなったのはこういう原因があったから』的に「逆流の歴史教育」があってもいいんじゃないか?」って意見を交換しました。むしろその方が因果関係を覚えやすく、頭に入るんじゃないかと。誰か書いてくんないかなー?きっとウケると思うぞ。

 

第一、古代を学ぶにしても、えーっと、なんだっけ?「魏志倭人伝」だっけ?中国の書物。
そんなのを参考にして古代を語ってもねぇ、、と思うのさ。それ、日本の書物じゃないんだぜ。他国から見た日本のことだよ。他国目線で語られてる日本の事なんて、あくまで参考意見であって史実にフィルターがかかっているに決まってるじゃないですか。ま、自国の書物でも怪しいのがあるけど、少なくとも外から見た他国目線よりはまだましだろ。
ほんで「卑弥呼」ですよ。実際にいたかどうかも分からない人。おまけに「卑しい」と言う字をあてがわれてちゃうような卑劣な表記。そんな風な名前を振られた人物がトップに君臨するとは到底思えないし、そういうのに授業の時間を割く必要がどんだけあるんだろ?(でも、当時はそんな疑いすら持ち合わせなかった私でした)

 

思えば『日本史』って、なんか他人ごとのようなタイトルを振られていることにも何の違和感もなかった。他所の国の歴史教育を見ると、自分の国の歴史について『国史』として扱っているんだよね。ありがたみの生じる表現ですよね。
私らの国だって『日本史』と言わずに、『国史』もしくは『日本国史』と言うべきなんじゃないかな。それだけでも気持ちの持ちようが変わる気がする。
愛国心を育てないように仕上がってる「歴史」なんてインチキじゃねぇか、って思うんですよ。
ひどい教育者になると「愛国心そのものが禍々しい」と言ってた記憶もあるなぁ。愛国心って帝国主義で悪いことなんだって。当時はそれも「そうなのか」と思ってました。
そういうのがヘンだってこと。最近になって漸く気が付いてきました。遅いってね、すみません。

 

ちゃんとした歴史教育をしない人から学ぶから、歪んだ歴史感を日本人皆んなが有するようになっちゃってきたんじゃね?
「戦争の過ち」とか言って自虐的になってるの、おかしいと思わないのかな?
戦争になるには戦争になる理由があるはずで、それが単なる「侵略」なわけないじゃん。
子供じゃないんだから、日本が「いじめっ子」だった的な発想は薄っぺらすぎる。
誰も好き好んで殺し合いをしたがる輩がいるわけない。むしろ、殺し合いをさせる策が張られたと考える方が自然じゃないだろうか。つまり戦争ビジネス。
そうやって儲けようとした輩が外部にいるんじゃないかとまでと思う。日本は嵌められたんじゃないか、ってね。そう思うと空恐ろしくなる。
やばいよな。もしかして、食い物にされてる?
日本を腑抜けにされないようにしっかり学び直さないといけないよね。

 

そういう教育布陣を張らせてる政策っておかしいと思うんだけど、どうなんだろ。
政策って…政治だよな。政治家か。正しい政治してないじゃん。。
なんかムカついてきた。