今、起きてることを知っておこう

陰謀論と言われていることは実は「陰謀論だ」と言っている人の陰謀だったりすんじゃねぇか?

当選の風景

2023年統一地方選挙が終わった。
投票率や当選者について言いたいことは山ほどあるが、その辺のことについてはひとまず脇に置いておこうと思う。

 


実は、最初から応援していたわけではありませんが、私はとある立候補者を応援していました。


私が毎朝利用している駅の前、そこには選挙のあるなしに関わらず、大体いつも誰かがマイク片手に街頭演説を行なったりしている。時に自民党の人であったり、時に共産党の人であったり、時に公明党の人であったり…その中でも演説者の常連にカウントされるのは合計3~4人程度か。お互いがバッティングすることのないように調整しているようであり、2人以上が同時に演説することはない。ある朝にはこの方が、別の朝にはあの方がのようにと、とっかえひっかえ演説をしている。もしかすると政党による棲み分け・ローテーションがあるのかもしれない。
結果的には、常連3~4人を含め演説者は皆んな今回の選挙に立候補したわけだが、ともかく毎朝のように誰かが駅前で演説をしているというのは、町の一つの風景となっていた。

私が応援した件の立候補者もその一人。常連と言っていいだろう。
彼は歳の頃40代半ばと言ったところか。さわやかな印象を振りまきつつも、一生懸命にこの町をどういう風にしたいかを訴えている。彼は、いわゆる大手の有力政党の後援を受けてはいない。このため、草の根運動のように地味に活動することから始めなければならないのだが、彼はひたむきに発信を続けていた。
彼の主張は簡略化して言うと、教育予算を引き上げて教育環境を充実させ子育て世代をフォローアップしたい、高齢者と子供たちのお互いがお互いをバックアップする環境づくりを行なって三世代が過ごしやすい住み良いまちづくりを目指したい、というものだ。
本人も保育園を立ち上げた経験から、実践的な政治・行政を私に任せて下さいとアピールしていた。
経済対策などのテーマと比較すると若干ポイントが弱い印象を受けたものの、景気浮揚策のような大局的にぼやけた主張よりも、かなりピンポイントで具体的な主張となっており、今後の日本を考えるうえで教育は非常に大切だし、三世代に渡る環境づくりの大切さも感じていた私には中々響くものがあった。それで、ちょっと彼の主張に耳を傾けてみようかと立ち止まる事が起きるようになったのである。

もっとも、私のような形で足を止める通行人というのは中々いるものではない。基本、会社に急ぐ人、時間がない人が多い駅前だ、朝に余裕がある人は中々いるものではない。ビラを配ってはいるものの、はたして通勤の邪魔になる程度にしか思わない人ばかりで、その効果もあまり期待できるものではないだろう。
かく言う私も当初他の立候補者同様、彼に対して素通りしていたのである。

「住み良いまちづくりを実践いたします!」

街頭演説をしている政治家は大体みんな口々にそう言う。しかし、声高に主張しても、どう実践するかのビジョンを語らない人ばかりで、すべからく立候補者に対してはどの人も中身のない空っぽの演説をしている程度にしか聞こえてなかった。
高い頻度で街頭演説にやって来ている人であっても、実行力があるのかどうか甚だ疑問が生じていたのである。そういえば、実績ばかりを主張している人もいたが、それはそれで鼻についてしまい、だから「これからどうするのか」を言って欲しいと思ったものだ。
そういうことも手伝って「彼」に対しても私はネガティブな先入観でいた。

その印象が変わったのは、ある日のこと。
電車待ちで遮断機が上がるまでの数分間、ボーっと立っていた私に、彼の話しが聞こえてきたのである。

「どんな社会であるにせよ、子供たちに将来を託せる環境がなくては明日に期待が持てません。明日に期待できる政策が打てなくてはなりません。それには、私は先ずは教育だと思っております。」

そのような言葉が聞こえてきた。
妙に響いた。

「あれ? なんか、他の政治家とトーンが違うな」と。

政策論議は「今」が確かに大切である。今をどうにかしなくてはならない。だから「今こうしたい、ああします」というのはとても説得力があるように思えるが、でもそれは場当たり的であってはならない。将来を見据えたうえで、だから今、何をすべきかを考えなくては日本を引き継ぐ事が出来ないじゃないか。彼はそこに「子供達の教育」をピンポイントで突いてきた。コロナワクチンを普及させるのに貢献したうんちゃらとかとはワケ違う、何かしらのビジョンのようなものを彼の発言の中に垣間見た気がしたのである。
彼が実際にどこまでを視野に入れてそういった発言をしていたのかはわからない。が、私にはそのように聞こえてた。

そうだ。私たちは、選挙によってこれからの政治を行政を日本を託せる人を選んで、議会に送り込まなければならない。改めてそのように思ったのである。
それ以後、彼が駅前に演説に立っているときは、電車が来るまでの僅かな時間ではあるが、聞き耳を立てるようにした(ちゃんと最初から最後まで聞かなくちゃなんないだろうが、そこはすまない、私も先を急いでいたので…)。


そして、そうこうしているうちに今回の統一地方選挙が行なわれることになった。
私たちの住まう町の議員数は結構な数だ。
その結構な数に対して、これまた多くの立候補者が立ってきている。
ざっくり50の議席に対して75の立候補者。
当選確率66.66%、3人の内2人が当選する。逆を言えば3人のうち1人が落選する。
これを狭き門と言うかどうかは何とも言えないが、彼は何となくではあるが当選しそうな印象を私は持っていた。
何しろ、結構多くの人から挨拶されたり、談笑したり、子供たちにもウケが良いような(子供受けが良いと、同行している大人(親)にも好印象になるかと)気がしていたからだ。

それより何より、驚いたのは立候補者の数の多さだ。
75人。
しかもその殆どの候補者を私は知らない。
私が知っているのは駅前で日頃演説をぶっている、いつもの数名くらいだ。。
知っている人がいて、自分が好意的に感じることができる人がいれば、その人に投票するもんだろう…などと。


選挙前日の土曜日、私は所用で帰りが遅くなってしまった。
最寄り駅に到着したのは夜の10時を回りそうな時刻であったかと思う。
駅の改札を抜けた時、驚いたことに襷を掛けた彼がそこに立っていた。

「お疲れ様でした、こんばんは」

行き交う人々に挨拶をしている。選挙を明日に控え、最後の挨拶なのだと感じたが、襷はしているものの、「〇〇です、よろしくお願い致します」的な声は一切なく、控えめに挨拶をしていた。手を振った私に、彼は深々とお辞儀で応えていた。
これだけの誠意を政治の舞台に持ち込めれば、何らかの化学反応が起きるんじゃないか?
彼に期待してみよう、と思った。


選挙当日の日曜日。投票所に足を運ぶと、入り口付近に各立候補者の顔写真ポスターの並ぶボードが立てかけられていた。眺めてみる。改めて立候補者のいかに多いことか。駅前のいつものメンバーでない他の多くの立候補者達って、私の住むエリアに興味がないのかとも思ったが、もしかすると私が不在の間に選挙カーが来たりしていたのかもしれない。でも私は知らない。
午前中に投票を済ませ、日曜日の雑事をこなしその日を終えた。


翌日のこと。朝食を取りながらTVをつけると、開票結果が報じられていたので何の気なしに見ていた。すると、件の彼の当選報道がされていないではないか。

(え?)

私は急いで朝刊に目を通した。地方欄のページには立候補者とその得票数が記載されている。

 


彼は落選していた。

 


正直私は驚いた。意外だった。あれだけ多くの通りかかる人たちと語り合い、彼が手を振れば会釈で挨拶に応えていた駅利用者や近隣の住民たち。
競われたこの町には非常に多くの立候補者がいたとは言え、3人のうち2人は当選する環境だ。有力な支持政党の後ろ盾は無いにせよ、露出頻度が高く具体的な主張を展開し住民の受けもよかった(と思われる)彼がよもや落選するとは思ってもみなかった。
結果は厳しいものだった。
投票した我が身としては、当事者本人ではないものの、何だか自分が落選してしまったような脱力感にやられてしまった。得票数、ほんとにこれっぽっちだったのか?などと思ったり。。

朝食を終え、洗面に行き、いつものように身支度をして家を出た。
自分の足取りが何となく重い。
駅までの道のりがいつもよりも長く感じられる。

駅に続く交差点を折れた時、向かう先の駅前の「いつものポジション」に彼が立っていた。
見ればあまり眠れていなかったのだろうか、目が充血し声が掠れている。歯を噛み閉めるようにしながら彼は通りかかる人たちに、
「おはようございます」
と何度も礼をしていた。微かに涙声のようなものを耳に感じ取ったのは私の錯覚だろうか。
ただただ、
「おはようございます」
と挨拶をし、それ以外は口にすることもなく、何度も礼を繰り返している彼。


ふと、見ると線路の反対側には別の立候補者が立っていた。

「皆さん、この度は応援ありがとうございました!皆さんの声を議会に届けて参りますので、今後ともどうかよろしくお願い致します。」

溌溂と挨拶している。勝利宣言なのだろう。笑顔がこぼれていた。
有力政党の後ろ盾で当選したのだろうか、ここではそれほど何度も見かけたような顔ではない。だが、この人は当選した。


あまりに対照的だった。


線路の向こう側とこちら側。
向こう側で演説している当確者の声は彼にも届いていることだろう。
当落の世界とは言え、この切ない空気は一体なんだ。

彼の前を通り過ぎる時、声をかけようかと思った私だが、かける言葉が思いつかなかった。
私は彼に軽く会釈して改札に向かった。

空にはうっすらと雲がかかり、4月としては寒い陽気だった。


後で投票率を見たら50%に至っていなかったことに驚いた。
半数以上の住民は投票しなかったということだ。
組織票を握っている立候補者だけが当選するということだ。
もし、投票率が高かったら、有力政党の後ろ盾もなく頑張っていた彼にも勝利の女神は微笑んだかもしれない。しかしそれはあくまでタラレバの話。負けは負け。
世間は彼にそっぽを向いていた。


それでも私はこの投票率の低さが、後援会を持つ有力政党の単独劇場になってしまっていることに釈然としないものを感じている。なんでみんな投票に行かないんだ。
強い後援会を持ってる候補者だけが勝利してしまうのに。
それでいいのか? 悔しいなぁ。

 

この町が、この国が、どうか無事でありますように。
国民の誇りと活力のある日本でありますように。
ただそれを祈るばかり。